ケータイ辞書JLogosロゴ 大寺村(近世)


滋賀県>虎姫町

 江戸期〜明治22年の村名。浅井郡のうち。寛永年間の領主は永井氏・小野氏,元禄年間は大久保氏・徳川氏,天保年間以降山城淀【よど】藩領・出羽山形藩領となり幕末に至る。村高は江戸期を通じて887石余(寛永高帳・元禄郷帳・天保郷帳・旧高旧領)。神社は王内儀森神社で「輿地志略」には「大寺村民家より十五町許艮にあり。祭神不詳,土俗相伝う上古此村に主なき事を憂えて南都に奏す。時に王の后鹿一疋をつれて此地に来り村の主となれり,死後祭りて正八幡宮とし,其森を王内儀の森と号す」とある。また同書は,境内の犀ケ窪の由来を「相伝う古昔此地大なる淵也,此淵に老犀すみて往来の人を悩す。浅井備前守の家士入海彦の庄司,彼犀を捕えて既に殺さむとす。犀誓って此淵を去る。然して後新田となし犀が窪と号すという」と記す。明治5年滋賀県,同13年からは東浅井郡に所属。同13年の戸数83・人口324。田地41町4反余・畑地12町6反余・宅地3町5反余・林地4反余。物産は,米・大豆・生糸。副業は養蚕・醤油商・大工など。水利の便はよかったが,洪水の際には,大きな被害を受けた(物産誌)。同22年東浅井郡虎姫村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7371113
最終更新日:2009-03-01




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