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- 富永荘(中世)とは
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富永荘(中世) 鎌倉期から室町期に見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
富永荘(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
富永荘(中世) 南北朝期~室町期に見える荘園名筑前国のうち建武3年4月5日,足利尊氏は三池杢助入道道喜(安芸貞鑑)に「筑前国富永庄」を宛行った(新編会津風土記13所収梁瀬文書/南北朝遺559)しかし,天授3年2月9日懐良親王が高良下宮にあてた令旨には「以筑前国富永庄地頭職可寄進事」と見え(高良山下宮令旨/太宰管内志),南北朝の争乱における当荘の所有権の変遷がうかがえる室町期には,嘉吉3年3月当荘内成貞名・久富名が庄崎彦三郎に安堵されている(姪浜殿上文書/同前)天正年間の「指出前之帳」によれば,下座郡白鳥村の枝村に「富永村」が見え,「荘園志料」は同村の存在をもって当荘を下座郡内に比定しているが,詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
富永荘(中世) 室町期に見える荘園名加賀国石川郡大野荘のうち康正二年造内裏段銭并国役引付に「拾貫文 六月十五日 富永庄江州山門領 段銭」とあるこの富永荘は鎌倉期から南北朝初期に見える富永御厨の地にあったと考えられ(郷土辞彙),現在の金沢市寺中町付近の犀川【さいがわ】河口右岸の一帯に比定されるしかし延暦寺領の富永荘と御厨の関係は不明である... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」