ケータイ辞書JLogosロゴ 秋野々町(近世〜近代)


京都府>京都市

江戸期〜現在の町名烏丸通二条下ルの町町名は寛永14年洛中絵図に「秋のの町」と見え,以後,中井家系統の筆描図では変化はないが,「京雀」や「京雀跡追」では「浅野(の)町」と記すまた,木版図系統の正徳・享保年間頃の絵図も「浅野の町」としている町名は,秋野道場と称された称名寺が当町に存したことによるという称名寺は,豊臣秀吉の天正後期の京都の都市改造の中で,寺町通丸太町に移転,その後,宝永5年の大火により焼失し,さらに二条河東へと移転した(宝暦町鑑)「京雀跡追」によると当町には新物の仕立物・うぶき・ふとん・万そめ小袖などを商う店や借能装束屋などがあったというそのほか,諸道具目利の大和屋重右衛門(京羽二重),古手屋銭や善右衛門,同松や長兵衛,同舛や平兵衛などが店を構えていた(京羽二重織留大全)江戸期は上艮組新シ町の孫兵衛組に属し,48軒の軒役を負担明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】25番組,同5年第28区と改称,同25年第23学区に編成明治12年上京区秋野々町,同22年京都市上京区秋野々町,昭和4年中京【なかぎよう】区秋野々町となり現在に至る
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7373341
最終更新日:2009-03-01




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