ケータイ辞書JLogosロゴ 安居院(中世)


京都府>京都市

平安末期から見える地名上京【かみぎよう】のうちはやく「山槐記」永暦元年11月6日条に当地焼亡の記事が見える比叡山東塔竹林院の里坊が地名として定着したもので,唱導の安居院流がここを本拠としたことで知られる応仁の乱によってこの一帯は荒廃し(応仁略記),町場化が進んだ下って「元亀米賄帳」には川ヨリ西組二十一町の1つとして「安居院大宮」と見えるが,これもほぼ同一地域に成立した町と考えていい中昔京師地図や中古京師内外地図によれば,現在の前之町(上京区大宮通寺之内上ル)を中心とする地に比定され,寛永14年洛中絵図には「安居院前丁」が見えているなお,建武元年5月6日付後醍醐天皇綸旨に,大徳地の敷地の四至が「東限船岡山東崎,南限安居院大路,西限竹林,北限同山後社」と記されている(大徳寺文書1-49)この記事が示す形勢と安居院旧跡の位置とから判断して,この大路は現在の上京区北部にある廬山寺通に相当する道路と思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7373342
最終更新日:2009-03-01




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