ケータイ辞書JLogosロゴ 穴太村(近世)


京都府>亀岡市

 江戸期〜明治22年の村名。桑田郡のうち。旗本松田氏知行地(寛政譜・旧高旧領)。村高は「天保郷帳」「旧高旧領」ともに672石余。天保期の家数100(天保年間戸数調)。寺院に天台宗穴太寺・臨済宗天竜寺派金剛寺がある。穴太寺には狩野永納が延宝年間に描いた穴太寺観音縁起絵巻1巻,木彫聖観音立像,木彫等身大涅槃の釈迦像,また皇室をはじめ歴史上の有名人の遺墨重宝がある。なお身代わり観音として秘仏とされていた聖観音立像は第2次大戦後盗難にあった。金剛寺は応挙寺ともいわれ,円山応挙の真筆を秘蔵している。また,永正6年将軍足利義尹(義稙)の御教書をはじめ,文和6年から享保9年にいたる社殿造営の棟札12通などを書き記した神主代々記録1冊を蔵する式内社小幡神社がある。明治元年久美浜県,同4年豊岡県を経て京都府桑田郡,同12年南桑田郡に所属。同5年の戸数110,同21年の戸数124(市町村合併史)。同22年曽我部村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7373414
最終更新日:2009-03-01




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