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- 石田荘(中世)とは
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石田荘(中世) 鎌倉期から見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石田荘(中世) 平安末期~戦国期に見える荘園名越前国丹生北郡のうち鯖江市石田上町・石田中町・石田下町一帯に比定される嘉応元年11月日の権大僧都某解に,大蔵荘の境界の1つとして「北限石田庄堺」と見え,当荘の南は大蔵荘と堺を接していた(東大寺文書)鎌倉初期と推定される年未詳7月4日の源頼家書状案(仁和寺文書)によると,当荘は仁和寺領で,源平内乱期には藤原友実が地頭に補任されている当荘は康治2年10月14日仁和寺で舎利会を行うにあたり藤原教長が寄進したものという(仁和寺御伝/群書5)室町期は東寺領で,康正~長禄年間頃は越前守護代甲斐氏の一族甲斐教久が代官であったが,未進を重ね,長禄元年の未進は40貫文にも及んだ(京府東寺百合文書ユ・ヒ)文明12年10月竜生寺領総目録写(大野領寺社記并雑記)に当荘の「為長名之内抜地」「国延名之内抜地」「末安名六分壱」などが見え,佐々生(朝日町)の竜生寺の寺領があったまた,当地の西光寺(現在は鯖江市杉本町)は有力な真宗寺院であった(石山本願寺日記天文5年2月27日条など)文禄3年12月5日西光寺蔵親鸞絵像裏書に「越前国丹生北郡石田之荘上村」と見え,これまでに上村・下村が成立していたことがうかがえる慶長国絵図には石田村と見え,高2,380石4斗1升3合... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石田荘(中世) 南北朝期~戦国期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石田荘(中世) 室町・戦国期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」