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- 泉郷(中世)とは
「泉郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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泉郷(中世) 戦国期に見える郷名駿河【するが】国駿東【すんとう】郡のうち狩野【かの】川とその支流の柿田川の左岸に位置する永禄10年2月6日の今川氏真朱印状が初見で,当郷の本百姓・小作による他郷田畠の耕作禁止などが定められている(泉郷文書/県史料1)永禄12年には当郷内の井領免・定使給のことが見え(判物証文写/神奈川県史資料編3),元亀2年には当郷百姓7人が逃亡している(同前)また,当郷は郷名からも明らかなように,湧水による水の豊富な地域で,今川氏の禁止にもかかわらず,河草(川藻)を肥料とする近郷の百姓が郷内に入り込むことがあり(泉郷文書/県史料1),天正5年には竹原村との間で相論になっている(杉本文書/県史料1)なお,天正17年11月27日の徳川家康七ケ条定書には「泉東方」と見える(旧久米田村民八郎右衛門文書/県史料1)現在の清水町大字的場・畑中・戸田・久米田【くまいでん】・玉川・湯川・堂庭の付近に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
泉郷(中世) 鎌倉期~室町期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
泉郷(中世) 室町期に見える郷名長沼荘のうち応永25年と推定される7月12日の足利持氏書状に「長沼淡路入道知行分下野国長沼庄内混布嶋郷并同庄泉郷半分・青田郷半分等事」と見え(皆川文書/県史中世1),当郷などは上杉禅秀の乱後長沼義秀に充行われたが,これらの諸郷を混布嶋下総が違乱しているため,鎌倉公方足利持氏は下野国守護結城基光に早く狼藉をやめさせ,長沼義秀が知行できるようにすることを命じている以下同年7月29日,同年10月29日にも足利持氏が結城基光に同様な書状を発給している(同前)現在の二宮町大道泉に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
泉郷(中世) 戦国期に見える郷名緑野【みとの】郡のうち村名でも見える永禄6年閏12月14日の某禁制写(飯島文書/県史資料編7)に「木部在城衆并番手衆,於于泉 立石両郡(郷)不可乱妨」とあり,現在の高崎市木部町にあった木部城にいる将兵に対し,当郷などへの乱妨を禁じている武田信玄は永禄6年この城に陣して倉賀野城を攻めており,その時のものと考えられる「郡村誌」の緑野郡立石村の項に「古時立石・和泉ノ二村タリ,天正年中合シテ一村トナリ本号ヲ用ウ」とあり,現在の藤岡市立石のうちに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
泉郷(中世) 室町期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
泉郷(中世) 戦国期に見える郷名越前国丹生北郡のうち明応3年4月16日の大井常久書状および同日付の常久譲状に「越前国日野北郡泉郷之内大井村武重名之内田地伍町六段・同畠弐段」と見え,当郷内の田畠が常久から養子虎菊丸に譲渡されている(東史本郷文書)なお,中世に山本荘内の泉郷が見えるが,地理的にみて当郷とは別のものであろう現在の武生【たけふ】市家久町を中心とするあたりに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
泉郷(中世) 戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
泉郷(中世) 戦国期から見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
泉郷(中世) 戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」