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- 一ノ坪(中世)とは
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一ノ坪(中世) 室町期~戦国期に見える字名山城国愛宕【おたぎ】郡大宮郷のうち賀茂別雷神社領宝徳3年3月27日,大宮郷地からみ帳(写)に,一群の田地の四至を記して「北ハ氏神前車路ノ下ヨリ東堀ヲカキリ,南ハ清目カ縄手ノ下ノ一坪ヲ見也大和田マテ」とあるのが初見(賀茂別雷神社文書)同帳の地図上復元により明らかになった清目縄手の位置との関係から,これは愛宕郡条里の12条に属し,現在の北区小山の北半部と紫竹の東半部とを含む某里の西南隅の坪のことと考えられ,現紫竹高縄町西南部から紫竹西高縄町東南部にかけての区域に相当する地からみ帳とほぼ同時期の作成と思われる応仁元年4月写賀茂社往来田古帳にも同所所在の4反が記載され(同前),元亀3年11月22日の大徳寺瑞峰院之内紹胖分指出に「〈いちかつほかもかりわけ本米参斗〉〈此内百文ハ正月十三日ニ出之〉」とあるのも同じ場所の田地に関するものと思われる(大徳寺文書8-2531) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一ノ坪(中世) 戦国期から見える字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」