ケータイ辞書JLogosロゴ 伊禰荘(中世)


京都府>伊根町

 鎌倉期〜室町期に見える荘園名。丹後国与謝【よさ】郡のうち。建久2年10月日付の長講堂領目録に「伊禰庄役 宮津庄」と見え,元三䉼・御簾8間・御座8枚などの年中課役が書き上げられている(島田文書/荘園志料)。次いで「吾妻鏡」建久6年8月6日条によれば,「丹波(後)国志楽庄并伊禰保」について地頭後藤左衛門尉基清の濫妨狼藉を領家雑掌が訴えており,幕府は事実ならば地頭職の3分の1をとりあげて他人を補任すると答えている。「丹後国田数帳」には「一,伊禰庄 二十八町七十四歩」とあり,うち3町余は松田刑部左右衛門,7町余は小島方で幕府奉行人飯尾備前,18町余(「但,十六町七段二百五十二歩段銭沙汰之」)は東方で同じく飯尾備前がそれぞれ知行している。松田氏は日ケ谷(宮津市)城主。また,当荘は延永方・小島方・東方・西方などに区分されていたらしい。後世,日ケ谷・外垣【とのがき】・岩ケ鼻・大島(以上宮津市)・日出・平田・高梨(亀島のうち)・大原(以上伊根町)の8か村は伊禰荘8か村と総称され,宮津市岩ケ鼻の小字宮山に鎮座する山王社は,伊禰荘8か村の産土神とされていた(与謝郡誌・山王社棟札・府史蹟名勝天然記念物調査報告13)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7373910
最終更新日:2009-03-01




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