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- 上村(近世)とは
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 上村(近世) 江戸期~明治11年の村名薩摩国給黎【きいれ】郡喜入郷のうち「上名」ともいい,上之村とも書く薩摩半島中央東部に位置し,東側は鹿児島湾(錦江湾)に面する寛永末年頃北部瀬々串村が分村,ついで中名村が分村し,享保19年には南部に宮坂村が成立して,江戸中期以後は3か村からなるただし,江戸期を通じて,上村1か村と把握される場合も多い(元禄郷帳・薩藩政要録など)村高は,慶長19年1,777石余,「天保郷帳」1,843石余,「旧高旧領」1,942石余喜入郷の地頭仮屋は当初給黎城南麓に置かれたが,承応2年琵琶山南麓に移転され,家中士も移住したこのため,給黎城下を旧麓と呼ぶ「三国名勝図会」によれば,沿岸部に「黒地蔵坂」があり,「邦君通行の時は必ず行亭を此に設く」というまた,同書によれば,当村山間には周囲1里半の牧馬苑があり,80頭余の馬が放牧されていたという寺社には,真言宗常法寺,曹洞宗玉繁寺,地蔵堂,弘治3年喜入季久の建立と伝える正一位三百余社大明神社,永禄年間季久の再興と伝える諏訪上下大明神社,成木大明神社,中名の道祖宮,瀬々串の二俣大明神社などがある(三国名勝図会)明治2年常備隊編成に伴い,瀬々串村・中名村と,宮坂村の一部を統合して上村となる(県地誌)明治9年瀬々串の西原清定の提唱で瀬々串小学校開設同年鳥越定が中名小学校を開設,生徒数14,翌10年教員鳥越の西南の役出征のため廃校明治11年瀬々串・中名の2か村に分村... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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