ケータイ辞書JLogosロゴ 宇都郷(中世)


京都府>京北町

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。桑田郡のうち。後白河院御願法華堂に寄進された吉富荘のうち,当郷はのち源頼朝に「相伝の私領」として返付され,頼朝はそれを寿永3年4月4日,高雄神護寺に寄進,残る5郷も文覚の請により,元暦元年5月19日に院から神護寺へ寄進された。そのため,以後,当郷は吉富(本)荘・宇都(本荘)とも称され,残る5郷は吉富新荘・宇都新荘とも称された。この間の事情は「神護寺文書」中の寿永3年源頼朝寄進状,元暦元年後白河院庁下文,同2年僧文覚起請文に見え,「源平盛衰記」巻19にも,文覚が頼朝に寄進を要求した地として「丹波国には,新庄・本庄・雀部・宇津・縄野」と見える。郷域は桂川の流域,京北町下宇津あたりから,その上流の同町柏原・弓槻あたりに及ぶか。当地には室町中期に美濃守護土岐氏の一党が入部,地名を冠して宇津氏と称し台頭した。宇津氏は天文4年11月には禁裏領小野郷を違乱(後奈良院宸記),同15年には船井郡桐野・河内両村に侵入(古文書集),永禄6年2月には京の町家に放火するなどしており(御湯殿上日記),幕府もたびたび,その違乱を停止せんとし,天文11年4月には宇津城を攻撃している(蜷川親俊日記)。同氏は以後も,永禄7年には山国荘公文鳥居氏と婚姻関係を結ぶなど(丹波国山国荘史料),着々と勢力を広げたが,天正10年明智光秀の宇津城攻略で壊滅した。なお,江戸期には明石【あけし】・柏原【かしわら】の2村が宇津を冠称していた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7374166
最終更新日:2009-03-01




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