ケータイ辞書JLogosロゴ 浦家荘(中世)


京都府>久美浜町

 南北朝期に見える荘園名。丹後国熊野郡のうち。元弘3年5月20日付の熊谷直経代同直久軍忠状に「元弘三年五月十二日,直久相共罷向丹後国熊野郡浦家庄,押寄二階堂因幡入道(貞雄)之城郭,令追罸畢」と見え(熊谷家文書/大日古),至徳元年5月6日付の虎若丸承祐連署請文には「石清水八幡宮護国寺領丹後国鹿野別宮,或号浦明」と見える(石清水文書1/大日古)。江戸期の史料では浦明村を「鹿野庄内」としているが,南北朝期には鹿野荘域を含め久美浜湾東岸を広く浦明と称していたらしい。下って戦国期の「丹後御檀家帳」には「一 浦明村 家百五拾斗」と見え,森助左衛門殿・浦明殿・耕雲寺・木村与一左衛門殿・木村弥治郎殿が書き上げられている。耕雲寺には「大寺也」との註が付されているが,これは西方神崎の康雲寺であろう。同書には他に「一 なから 家百斗」「一 にんくわし」が見える。「なから」とは浦明地内北部の集落長柄(良)で,同地には「一城主也 岩田殿」と見えるが,長良城は天正10年細川の将松井康之によって落城した。また,「にんくわし」は東方日光寺峠に所在した寺で,「寺数あまたあり」と往時の繁栄がうかがえる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7374238
最終更新日:2009-03-01




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