ケータイ辞書JLogosロゴ 江尻村(近世)


京都府>宮津市

 江戸期〜明治22年の村名。与謝郡のうち。「慶長郷村帳」の府中郷のうち。はじめ宮津藩領,寛文6年幕府領,同9年宮津藩領,延宝8年幕府領,天和元年以降宮津藩領。村高は「延宝郷村帳」187石,「天和村々高帳」では栗田組に所属し279石余,「宝永村々辻高帳」同高,「享保郷村帳」285石余,うち新田改出高5石余,「宝暦郷村之覚」同高,「天保郷帳」同高,「旧高旧領」279石余。幕末の草高は279石余,年貢率は定免で4割1分7厘7毛。高掛物128石余,山手運上米7斗余,稲木運上銀・肴運上銀など169匁余。戸数216・人口1,064(与謝郡誌)。社寺に江尻社・臨済宗普門山慈光寺,名勝に名切松がある。慈光寺は府中城主延永修理進の開基で,同氏の戒名が寺名となる。名切松は波切松が転じたものという(丹哥府志)。漁業も盛んで,江戸中期には越中網・刺網・延縄【はえなわ】・いなだ漬などの漁法によって加佐郡成生岬・経ケ岬・間人【たいざ】方面まで漁圏を拡大した。当村では,安永年間にいなだ漬をめぐって宮津漁師と日出・平田・亀島の伊根浦3か村との間で,寛政12年には城下追掛屋との間で争論が起こった(京都府漁業の歴史)。文久年間の船数は小船84。慶応2年8月の洪水による家屋の全壊12軒,半壊8軒(与謝郡誌)。明治4年宮津県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。「共武政表」に戸数239・人口1,103,寺院1・学校1,牛11,日本形船舶109,物産は生糸・櫨とある。同21年の戸数209(市町村合併史)。同22年府中村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7374264
最終更新日:2009-03-01




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