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- 大河内村(中世)とは
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大河内村(中世) 鎌倉期に見える村名長門【ながと】国豊西【ぶんざい】郡のうち元徳元年2月日の三井資基重申状案(閥閲録65)によれば,三井資基は,「有光名・大河内村一分地頭」であったおそらく彼の父資平(長門守護代)の所領を分割譲与されたのであろう資平は「豊西郡富任別府」に居住し,その子資基は同郡室津郷に住んだという(同前)響灘に臨む海辺部に本拠をもっていたのであろうか先の資基の重申状案によれば,一族とみられる三井長家息女・子息永富新三郎・有光大進房・紀三郎入道・仲新大夫・進士畑儀入道らが苅田狼藉などの悪行をしたと訴えている比定地については,三井氏の本拠地室津付近の大字吉永のうちに有光の小字があり(豊浦町史2),しかも豊浦町大字宇賀のうちに大河内があることから,豊浦町域とする説があり,また豊田町大河内とする説もある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大河内村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」