- JLogos検索辞書>
- 大津町(近世~近代)とは
「大津町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 大津町(近世~近代)
江戸期~現在の町名間之町通五条下ルの町南北に走る間之町通をはさみ,北は五条通に面する寛文12年洛中洛外大図に「大津町」の名が見え,その後町名に変更はないが,「府...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7374484]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
大津町(近世~近代) 江戸期~昭和39年の町名・小字名滋賀郡のうち昭和26年からは膳所【ぜぜ】を冠称江戸期は膳所城下町木ノ下村のうち地名は慶長6年膳所藩成立の際,大津商人が移住した地区であることによる町並み軒数73間2尺人口75膳所藩主本多氏の菩提寺浄土宗縁心寺のほか,真宗唯泉寺(廃藩時廃寺となる)があった縁心寺は安政元年6月夜失火で全焼この町に膳所一の造酒屋で藩の掛屋であった桑名氏がいた明治5年滋賀県に所属同6年錦村,同22年大須賀町(旧膳所村内)を合併し膳所村錦の小字となり,以後小字名として存続昭和26年膳所を冠称し大津市の町名となる同39年丸の内町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大津町(近世~近代) 江戸期~現在の町名間之町通竹屋町上ルの町寛永14年洛中絵図に「大津町」と見えて以後,ほぼ変化はないが,木版図系統の絵図である寛永18年以前平安城町並図・承応2年新改洛陽並洛外之図は「大津や町」としている江戸期は上一条組の東十町組に属し,37軒の軒役を負担明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】21番組,同5年第24区と改称,同25年第19学区に編成明治12年上京区大津町,同22年京都市上京区大津町,昭和4年中京【なかぎよう】区大津町となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」