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大畠(中世) 南北朝期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大畠(中世) 鎌倉期に見える地名豊後国大野郡大野荘志賀村南方のうち現在の大野郡朝地町の平井川南方の山地で,大字坪泉・上尾塚方面と思われるが,比定地未詳正和5年正月29日の志賀村南方中分惣堺越田堺注文に,「一所〈大畠〉二反半,〈東西北限西方荒野并野畠,南限道〉」とあるのが唯一の史料正和3年の分け直し中分では,地頭方(東方)田地で,惣堺を越えて領家方(西方)分に混在していた田地新田とある(志賀文書/大友史料4)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大畠(中世) 鎌倉期に見える字名山城国紀伊郡のうち文永10年6月1日,玄海地頭職田地寄進状に,「一所 須久里(須久田里)十二坪壱反〈字大畠〉,一所 同里廿一坪〈同〉,一所 同里廿二坪参反〈同〉」とある(田中繁三氏文書/鎌遺11335)紀伊郡条里の復元結果によれば,これは現在の伏見区竹田段川原町と竹田桶ノ井町北部にまたがる地域である... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大畠(中世) 戦国期に見える地名豊後国海部【あまべ】郡佐伯【さいき】荘のうち現在地不詳天正16年の参宮帳に「豊後佐伯大畠しゆ二人 大畠孫一郎殿同郷とも藤二郎殿」と見えるのが唯一の史料(県史料25)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」