ケータイ辞書JLogosロゴ 大身村(近世)


京都府>三和町

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国天田郡のうち。寛永10年より綾部藩領,川合組のうち。「正保郷帳」の村高238石余,うち田155石余・畑83石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では272石余。寛政頃の戸数137(丹波志)。「巡察記」によれば,天保頃の戸数148・人口748,牛106。産物には米麦のほか,蒟蒻・木綿・大豆・小豆・麻・煙草・楮・椶・漆・繭などがあり,多量の蒟蒻や石灰の販売によって,当村は金銀の溜ること領内随一であろうとされている。万延元年11月13日から4日間の福知山藩市川騒動に端を発して大身騒動・天田一揆と称する一揆が発生。一揆鎮静後,船井郡内の頭株6人は当村南部の細野峠でさらし首にされたという(菟原村史)。明治4年綾部県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。同21年の戸数148(市町村合併史)。同22年菟原【うばら】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7374568
最終更新日:2009-03-01




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