- JLogos検索辞書>
- 大宮町(近世~近代)とは
「大宮町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 大宮町(近世~近代)
江戸期~現在の町名上ノ下立売通御前西入の町葛野【かどの】郡西ノ京村に形成された洛外町続町の1つ寛永14年洛中絵図には,すでに現町名が記される町名は,御前通が平安...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7374583]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
大宮町(近世~近代) 江戸期~現在の町名七条通木屋町東入下ルの町もと妙法院門跡領で,町名は日吉大社の大宮に由来する(府地誌・坊目誌)妙法院門跡領の耕地は,宝永3年および正徳2年に同門跡の願により新家地として開発されることになった(京都大概覚書・諸式留帳)「坊目誌」は当町の開発を宝永3年とし,また「宝暦町鑑」では当町は七条新地に属している七条高瀬川の側字白蓮寺に無縁墓地があったという(京都大概覚書)明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】18番組,同5年第26区と改称,同25年第26学区に編成明治12年下京区大宮町,同22年京都市下京区大宮町となり現在にいたる大正元年七条通が拡幅され,翌年4月には市電が開通した(京都市三大事業誌)世帯数・人口は,明治44年36世帯・171人,大正14年40世帯・178人,昭和40年50世帯・206人 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」