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小田(中世) 南北朝期から見える地名筑後国竹野郡のうち鎮西管領一色道猷は建武5年3月3日,石垣城に菊池武重・武藤資時を攻めたが,同年3月16日の小代重宗の軍忠状に「馳向高良山并小田河原」とあり,同年3月日の長野助豊の軍忠状には「小田瀬田石垣山合戦」と見える(小代文書・宗家御判物帳/天満宮史料11)応安8年正月日の山内通忠軍忠状にも,筑後川の「小田瀬」を渡り生葉【いくは】村に打ち入ったとある(山内首藤家文書/大日古)南北朝の動乱が始まると,筑後・豊後・肥後3国の境にまたがる山岳地帯は南朝方の根拠地として保たれ,なかでも水縄山麓の生葉・竹野両郡にまたがる星野氏の居城周辺が幾度となく南北両軍の合戦の場となったその折に九州探題の軍勢が筑前から筑後川を渡ったのが当地であった天文6年2月13日,下筑後の三池・溝口・河崎・蒲池の諸氏と戦っていた大友義鑑が,「竹野郡東郷小田」の地10町を志賀民部大輔に預けており,当地が竹野新荘東郷に属していたことがわかる(志賀親長氏家蔵文書/大友史料17)しかし「竹野東郷」ではなく「竹野郡東郷」となっていることから,この時期にはほとんど荘園は解体していたものと考えられる江戸期の東小田村・西小田村・中小田村一帯,現在の田主丸町野田のうちに比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小田(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小田(中世) 戦国期に見える地名... |
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」