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「鍵屋町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
鍵屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名正面通木屋町東入北側の町東西に通る正面通北側の片側町江戸期は雑色領(府地誌)この付近の雑色領は,正徳2年3月に妙法院門跡の申請によって開発が許...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7374898]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 鍵屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名間之町通二条下ルの町寛永14年洛中絵図に「駿河屋丁」と見えて以後,中井家系の絵図ではこの町名を踏襲しているが,「京雀」「京雀跡追」「都すゞめ案内者」には「きせるや町」と記されており,また木版図の絵図も「きせるや町」としている「きせるや町」の由来は,当町にきせる商人が多かったからであろう(京雀跡追)現町名が見える早い例は「宝暦町鑑」で,その後,「文政二年軒役」には「鎰屋町」と見えるから,現町名に固定したのは江戸期と思われる貞享頃には俳人として著名な北村季吟が居住しており(京羽二重),その他,外科医松井慶庵も当町の住人であった町内の商家としては,八兵衛・彦三郎の真珠問屋,江戸小間物の大和屋与七郎,江戸塗物店の長嶋三郎兵衛などの店があげられる(京羽二重織留・京羽二重織留大全)江戸期は上艮組の二三之組に属し,36軒の軒役を負担また,祇園会に際しては黒主山の寄町として4斗の地ノ口米を負担した明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】26番組,同5年第29区と改称,同25年第24学区に編成明治12年上京区鍵屋町,同22年京都市上京区鍵屋町,昭和4年中京【なかぎよう】区鍵屋町となり現在に至る |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 鍵屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名丸太町通柳馬場西入の町丸太町通南側に位置する片側町で,また,町の中央を南北に堺町通が通る寛永14年洛中絵図では「かきや丁」と見え,中井家系の絵図では変化は見られないが,木版図系の寛永18年以前平安城町並図には「はきや丁」,承応2年新改洛陽並洛外之図では「桑原町」と見える「宝暦町鑑」では「東半町,西半町二町に分る」としている江戸期は禁裏六丁町組の堀之内町五町組に属し,20軒の軒役を負担明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】22番組,同5年第5区と改称,同25年第20学区に編成明治12年上京区鍵屋町,同22年京都市上京区鍵屋町,昭和4年中京【なかぎよう】区鍵屋町となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 鍵屋町(近世~近代) 江戸期~昭和40年の町名・大字名滋賀郡のうち江戸期は俗にいう大津100か町の1つで,幕府領町名は鍵屋という豪商の名による(大津市志)中町通りと浜町通りを結ぶ横町寺は真宗大谷派の光徳寺・宗徳寺の2か寺で,他に荷問屋3軒・材木屋3軒・油問屋・米問屋などがあった自治組織は石川町組慶応元年大津宿役を負担した役家は35軒文政元年の幕府御用金には杓子屋五兵衛が1,100両負担(大津市史)近江蕪村と称せられた画人紀楳亭は当町の野村五兵衛の借屋に住んでいた明治5年滋賀県に所属同22年滋賀郡大津町成立に伴い大津町大字鍵屋町,同31年市制施行に伴い大津市鍵屋町となり,昭和40年長等【ながら】2~3丁目の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 鍵屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名問屋町通五条下ル4丁目の町鎰屋町とも書いた(坊目誌)江戸期は妙法院領慶長15年10月10日付文書(坊目誌所引)に「大仏しゆしやか(朱雀)通かぎ屋町十石一斗九升」とあり,寛文12年洛中洛外大図に「かぎや町」の名が見え,開町は江戸初期と見られる鴨川の東畔に接し,問屋町通の一画を形成江戸期は巽組新ン町の大仏組明治2年御旅町を合併同年の町組改正より下京【しもぎよう】29番組,同5年第27区と改称,同25年第27学区に編成明治12年下京区鍵屋町,同22年京都市下京区鍵屋町,昭和4年東山区鍵屋町となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 鍵屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名麩屋町通高辻下ルの町寛永14年洛中絵図にすでに現町名が見える元禄年中には丹波山家藩の谷出羽守邸が町内にあった(坊目誌)江戸期は巽組の松上組,明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】11番組,同5年第13区と改称,同25年第13学区に編成明治12年下京区鍵屋町,同22年京都市下京区鍵屋町となり現在に至る人口増減率(昭和40~50年)19.5%減... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 鍵屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名鍵屋町通烏丸西入室町までの町寛永14年洛中絵図にすでに見える江戸期は川西九町組の六条荒町組,明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】16番組(鍵屋町境町と見える),同5年第24区と改称,同25年第24学区に編成明治12年下京区鍵屋町,同22年京都市下京区鍵屋町となり現在に至る人口増減率(昭和40~50年)39.8%減... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」