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- 鍵屋町(近世)とは
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鍵屋町(近世) 江戸期~明治15年の町名明治14年からは伏見を冠称伏見町のうち北組墨染組11町の1つ町内西側を南北に京町通が通り,山村町の北,南蓮池町の南に位置する豊公伏見城ノ図では,道路の両側は町家が並ぶが,西側町家裏には北から谷出羽守・松平佐渡守,東側町家裏は北から近藤信濃守・平岡石見守の屋敷がみえる町名は桃山城米廩の鍵預人が住んでいたことによる(府地誌)町内には儒医香川彦太郎や医師種市尚翁がいた(伏見鑑)天保頃の軒数は44軒(伏見町誌)明治元年4番組,同5年伏見第3区,同7年第1区,同12年伏水第1組に所属同14年1月紀伊【きい】郡第5組,同年10月山村町外34か町連合のうちとなる明治15年伏見北鍵屋町と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」