ケータイ辞書JLogosロゴ 金屋谷(近世)


京都府>宮津市

 江戸期〜明治22年の地名。宮津城下万町組の1町。大頂寺の下より仏性寺までの地域をいう。永井尚長の時代に在方から町分になったという(宮津日記)。また京極高国時代に金屋谷41軒は万町の内としている(地方秘鑑・京極丹後守様御上地町地子並ニ家別)。元禄16年43軒,宝暦年間50軒余,明治維新以前70軒,明治19年61軒,同21年59戸(宮津旧記・宮津府志・丹後宮津志・市町村合併史)。臨済宗泰叟山国清寺・浄土宗宝徳山瑞泰院大頂寺・日蓮宗功徳山妙照寺・浄土真宗仏性寺・日蓮宗長久山本妙寺・日蓮宗本城山経王寺・浄土宗仏光山栄照院がある。国清寺は,寛永2年京極高広の室が実父岡山藩主池田輝政の追善のため文殊智恩寺別源和尚を招いて建立したもので,仏涅槃図・文殊図像・竜虎図などの寺宝を蔵する。大頂寺は,はじめ京極高知が犬の堂山上に香華院として建立したものを,その子高広が当地へ移したものという。宝暦9年本庄氏入国以来,当寺を香華所として霊屋が置かれた。妙照寺は,府中から移したもので,宝徳3年の墨書銘がある祖師像を蔵す。仏性寺は,寛永年間京極氏が宮津に移るに際し,田辺瑞光寺の順誓が中興し寺名をつけたという。明治22年宮津町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7375040
最終更新日:2009-03-01




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