ケータイ辞書JLogosロゴ 上有市村(近世)


京都府>笠置町

江戸期〜明治9年の村名山城国相楽【そうらく】郡のうち木津川右岸に位置し,西の下有市に対応する有市は,江戸期には「ありいち」「あち」とも称された(五畿内志・山城名跡巡行志)また「山州名跡志」は「ういち」と訓を付している「正保村高帳」には有市村398石余と見えるが,のち上・下の有市に分離した元和5年からは伊勢津藩領村高は「元禄郷帳」「享保村名帳」230石余,「天保郷帳」242石余,「旧高旧領」241石余「宗国史」によれば戸数66・人数296伊賀街道が南部耕地を東西に貫き,南を木津川が流れるために水陸輸送の便はよかったが,耕地が狭く水利不便による旱害や木津川の水害にしばしば悩まされたこのため生業は製茶・薪炭製造などを主とした社寺に国津神社・三太夫社と真言宗金剛峯寺末法明寺がある木津川河岸字稲竈の岩間より湧出する炭酸泉は明治5年に発見され,ソーダ・塩鉄土を含み胃病に効ありとして瓶詰にして発売され,さらに有市炭酸温泉として活用された(府地誌)明治4年津県を経て京都府に所属同9年,有市【ありいち】村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7375109
最終更新日:2009-03-01




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