ケータイ辞書JLogosロゴ 加悦町(近世)


京都府>加悦町

 江戸期〜明治22年の町名。与謝郡のうち。宮津藩領。「慶長郷村帳」「享保郷村帳」「天保郷帳」には加悦庄と見える。村高は「慶長郷村帳」「延宝郷村帳」709石余,「天和村々高帳」では河守組に属し901石余,「宝永村々辻高帳」同高,「享保郷村帳」902石余,うち新田改出高8斗余,「天保郷帳」同高,「旧高旧領」901石余。慶応2年の村高は902石余で本途物成は491石余という。幕末の草高は901石余,年貢率は定免5割5厘5毛,高掛物544石余,稲木運上銀等61匁余(与謝郡誌)。天保12年は高持百姓92・水呑百姓52・町人1・出家3・社家2,人数751,牛22(明細取調差出帳)。特産の丹後ちりめんは,享保7年当町の手米屋小右衛門が京都西陣より技法を導入したもの。享和3年「御領分縮緬屋御鑑札御改帳」に機数98,ほかに紬機2・帯機2とあり,「与謝郡誌」に文化年間の機数62,嘉永年間84,文久年間86とある。慶応2年「糸中買手先人別控」では,加悦町17人とあり,縮緬生産の中心地であった。野田川の舟運は,天保10年10月からは当町まで溯行し,宮津藩へ貢納する米穀等を運ぶなど大いに繁栄した。舟着場は大橋詰であった。慶応2年8月の洪水で百姓1軒が全壊となり,藩より2俵の救米を下賜された(与謝郡誌)。幕末の家数152,うち高持百姓94・水呑百姓52・町人1・出家3・社家2,人口774(版籍調書/与謝郡誌)。地内天神山には天正14年加悦城主有吉将監らが奉還した天満神社があり,境内に吾野神社が鎮座,天満神社棟札に「加悦庄 市場村天神宮本殿 施主福田安芸守,毛利甲斐守,有吉省宥,三上宗全 天正十四丙戌年冬十一月十日」と見える。天神山を中心に,元中元年開山の臨済宗天徳山吉祥寺,永禄3年開山の日蓮宗功徳山実相寺,慶長4年開山の浄土宗西荘山宝巖寺があり,少し離れて浄土真宗紫雲山浄福寺がある。明治4年宮津県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。同8年の反別は田49町余・畑7町余(地券事務日記)。同21年の戸数109,国税1,587円余・地方税349円余・町村費45円余(市町村合併史)。同7年加悦郵便役所開設。同22年加悦町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7375376
最終更新日:2009-03-01




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