ケータイ辞書JLogosロゴ 加用村(近世)


京都府>三和町

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国天田【あまだ】郡のうち。綾部藩領。はじめ6か村からなる河合村のうち。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」とも河合村に含まれているが,「巡察記」「旧高旧領」では6か村別々の石高を掲げ,当村は145石余。寛政頃の戸数35(丹波志)。天保頃の戸数43・人口182,牛23。米麦のほか,豆類・麻・茶・煙草・木綿・繭などを少量産した(巡察記)。当村からは椿峠を越えて上河合村へ,南の女鳥峠を越えて大身村へ,ホウカナル峠で船井郡猪鼻村横谷へそれぞれ通じていた。明治4年綾部県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。同21年の戸数42(市町村合併史)。同22年川合村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7375385
最終更新日:2009-03-01




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