ケータイ辞書JLogosロゴ 河合村(近世)


京都府>三和町

 江戸期の村名。天田郡のうち。綾部藩領。「正保郷帳」の村高1,534石余,うち田999石余・畑534石余。「元禄郷帳」は同高,「丹波志」「天保郷帳」では1,601石余。その後「巡察記」「旧高旧領」では6か村に分村し,加用村145石余・上川合村312石余・下川合村368石余・岼【ゆり】村156石余・大原村310石余・台頭村308石余となる。「丹波志」によれば,天正年間,川合谷の惣村は断絶寸前であったが,その後本村の岼村から漸次再興,追々戸数も増え,6か村からなる大村になったという。当初は岼村に村長が置かれ,寺院も常楽寺のみであった。また,天正年間以来,当村の惣高帳・古記録などは加用村亀四郎が所持していたという。寛政頃の戸数407,うち岼47・加用35・上川合84・下川合84・台頭60・大原97(丹波志)。天保頃の戸数464,うち岼52・加用43・上川合93・下川合87・台頭72・大原117(巡察記)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7375409
最終更新日:2009-03-01




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