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- 私部郷(古代)とは
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私部郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」飽田【あきた】郡十二郷の1つ「日本地理志料」は「岐佐岐倍」とよみ,皇后部の意という同書は「新撰姓氏録」に見える「大私部氏」の居所かという同書および「地名辞書」ともに比定地不詳とするまたは熊本市南部の川尻・力合付近とする説もあるまた当地は皇后部が設置された地域であろうという推定から,「日本書紀」安閑天皇2年5月9日条(国史大系)に皇妃春日山田皇女の屯倉として春日部屯倉が設置されたと見える地と考える説もある春日部屯倉は現在の熊本市春日1~5丁目・春日町を遺称地とし,同地に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
私部郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」丹波国何鹿【いかるが】郡十六郷の1つ郷域は現在の綾部市私市【きさいち】町,福知山市報恩寺・印内・私市のあたりに比定される皇后の名代部の私部は「日本書紀」敏達天皇6年条に初見するが,当郷もそれに由来するものと思われる奉安塚古墳の出土品から有力な首長の存在が推定されており,郷域内には何鹿郡式内社12座の1つ,佐須我神社(福知山市私市)がある(綾部市史上)平安末期から見える私市の荘名は当郷名の遺名であろう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」