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「北横町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
北横町(近世~近代)
江戸期~現在の町名上立売通寺町西入の町町名は相国寺旧大塔の北にあたる横町ということに由来する(府地誌)当地が塔之段に位置することから,寛永14年洛中絵図では「塔...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7375680]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 北横町(近世~近代) 江戸期~昭和40年の町名明治17~22年は富山を冠称富山城下田地方【でんじがた】町分二十九町の1つ(町方旧記抜書/県史近世下)富士城下のほぼ中央部を流れる鼬【いたち】川左岸に位置する「万治年間富山旧市街図」によると富山城の東,鼬川左岸に位置し,富山城の修築の際に行われた城下の町割に北横町の名が見える安永8年の家数25,うち本家13・貸家12(同前)天保12年には本家貸家竈数28・人口105,うち,男43・女62(富山町方旧事調理/県史近世下)とある明治9年石川県,同16年富山県に所属同22年富山市北横町となる同42年には戸数28・人口96,うち男42・女54(富山市統計書)昭和4年の戸数32・人口126,同30年の戸数15・人口90昭和40年現行の小島町・日之出町の各一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北横町(近世~近代) 江戸期~昭和30年の町名江戸期は北之横町とも称し,水戸城下上町の1町明治22年からは水戸市上市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名水戸城の西に位置する町人町「新編常陸」によれば,向井町2町目から北へ行き新屋敷に通ずる町で,のちに「之」の字をとって北横町と称したという昭和30年北町と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」