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- 甲山村(近世)とは
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![]() | 甲山村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国高草郡のうち鳥取平野の西部,野坂川の下流左岸に位置する平坦な水田地帯にあり,小集落をなす鳥取藩領村高は,拝領高285石余,「元禄郷村帳」285石余,「天保郷帳」213石余(うち新田高15石余),「元治郷村帳」282石余,「旧高旧領」293石余「元治郷村帳」の物成は118石余天保3年の藪役銀2匁,山役銀3匁5分(藩史5)戸数は,「因幡志」20,「文久3年組合帳」32枝郷として畠崎村があったが,元禄14年に分村(藩史5)「因幡志」によれば,隣村へは西北の足山村へ8町,西の布勢村へ9町,氏神は蔵王権現で祭日は9月19日ほかに,甲山神社があり,祭神は天照大御神,明治4年に村社となった村の中央部にある石地蔵の近辺に庵室があり,阿弥陀如来を本尊として安置していた(松保村郷土誌)当村の松林は有名であった(稲葉民談記)明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年畠崎村と合併し,里仁【さとに】村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 甲山村(近世) 江戸期~明治11年の村名常陸国茨城郡のうち涸沼【ひぬま】川上流右岸,笠間盆地の西端に位置するはじめ佐竹氏領,元禄年間・幕末期ともに笠間藩領村高は,「元禄郷帳」61石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに68石余明和年間の村高68石余・反別16町7反余(新編常陸)「安政高辻帳」では安政年間までの新開7石余として,村高68石余明治4年茨城県,同11年西茨城郡に所属明治11年石井村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」