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- 郡里(古代)とは
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郡里(古代) 条里の里名山城国宇治郡に属する山城国山科郷古図で7条6里であるが,古図に忠実にいうと,「郡里岡屋里」とあり,「岡屋里」の文字には破線で傍線を付している「郡里岡屋里」という5字の里名であったのか,この里を「郡里」とも「岡屋里」とも呼んだことを示すものか明らかでないが,「岡屋里」は東南に接する6条5里にあるので,「郡里」の称のみをとり出しておく里中には,東北部に,東隣の下堤田里で南北古道から分かれて西行する道と,その先端の建物が描かれ,建物には「岡屋堂」の注記がある「岡屋堂」は「山州名跡志」の岡屋の条に,「此ノ所古ヨリ近衛殿ノ伝領ナリ同別館アリ今其跡アリ」と記されていることなどから,近衛関白の邸宅かとも考えられるが,詳細は不明である岡屋堂の西前面には南北方向に線が描かれており,東からのびる扇状地面の末端付近の地形界を意味していると思われる「郡里」という里名は,「こおりのみやけ」すなわち宇治郡の郡家が所在した里であることを示している郡家の平面はおよそ2町四方を必要としたと考えられる具体的にどこにあったかは不明といわざるを得ないが,西半部は低湿であったから,東半部の高燥な扇状地面にあった可能性が高い里域は現在の宇治市五ケ庄西部と京都市伏見区にまたがり,里域中央部には,豊臣秀吉時代以来の宇治川が南北に貫通する |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」