ケータイ辞書JLogosロゴ 山王下(近世)


京都府>宮津市

江戸期の地名宮津城下白柏町組の1町如願寺川に沿い,山王社の下に位置する寛文初年以前の地子地は高2石余(地方秘鑑)元禄16年の町筋は紺屋七左衛門角から徳右衛門家まで43間,宝暦年間も東西43間,家数は元禄16年25軒(如願寺下分を含む),宝暦年間10軒(宮津旧記・宮津府志)山王社は(明治維新後日吉神社と改称)は大山咋命・大己貴命を祭神とし,古く近江坂本より勧請したと伝える正保4年京極高広は社殿を下の段(現社家屋敷地)に移してその跡に別荘を築き,のち藩主永井尚長はこれを漱玉亭と称したが,元禄15年藩主奥平昌春によって再び社殿はもとの位置に戻されたなお正保4年の遷座の際に経筒が発見され,神社に所蔵されているまた4月の中の申の日に同社の祭礼が行われたこれは13の芸屋台のあとに13の山屋台が従って練り歩く華麗なもので(丹哥府志),宮津祭りと称され,勤王の画家といわれた佐藤正持の描いた山王祭図が現存する山王社の本殿と並んで式内社杉末神社が鎮座する同社は,山王社より先に当地にあったとも,川向町の北から遷宮したともいい(宮津府志),分の宮を東の町の氏神とするのに対し,同社は西の町の氏神とされている貞享3年当町は大火に見舞われた(宮津日記)文久2年如願寺下と合併して宮町となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7376515
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ