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- 寺内町(近世)とは
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寺内町(近世) 江戸期~明治3年の町名富山城下のほぼ中央部,鼬【いたち】川左岸に位置した「万治年間富山旧市街図」によると富山城の修築の際に行われた城下の町割に寺内町の名が見える安永2年の町名書上に散地分として寺内町の名が見え,安永8年には家数42,本家14・貸家28(町方旧記抜書/県史近世下)天保12年には本家貸家竈数35・人口154,うち男73・女81,橋敷1勝興寺通坊の寺地であり,南側には真宗浄誓寺・同本立寺・宗円寺,北側には真宗砂福寺・同光伝寺・同覚法寺がある(富山町方旧事調理/県史近世下)明治3年合寺令が執行され,仏教関係の町名も改められ,当町は隣接する餌指【えさし】町に合併された現行の中央通3丁目・堤町【つつみちよう】通2丁目あたりか |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
寺内町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
寺内町(近世) 織豊期の町名上京【かみぎよう】のうち「元亀米賄帳」に見え,当時は川ヨリ西組廿一町の1つであった現在,寺之内竪町(上京区堀川通寺之内上ル)の町名が残るが,その前身であろうと推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」