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- 高野(古代)とは
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高野(古代) 奈良期から見える地名添下郡のうち秋篠川の東岸,佐紀池の西北方に位置する「万葉集」巻1の「長皇子と志貴皇子と,佐紀宮に倶に宴する歌」に「秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿鳴かむ山そ高野原の上」(84)と詠まれるまた宝亀4年称徳天皇は「大和国添下郡佐貴郷高野山陵」に葬られ,高野天皇と称された(続紀宝亀元年8月丙午条)天皇は西宮の寝殿に崩じ諸国の役夫6,300人を動員,故式部卿従二位鈴鹿王の旧宅を山陵に作ったという(同前宝亀元年8月癸巳・戊戌条)「延喜式」諸陵寮には「高野陵」として「平城宮御宇天皇在大和国添下郡兆域東西五町南北三町守戸五烟」と見える高野陵の所在については,成務天皇陵西北とする「大和志」,現日葉酢媛命陵とする北浦定政の「打墨縄」,西大寺の北とする「紹運録」など諸説があったが,文久3年現在地(現奈良市山陵【みささぎ】町にある全長127mの前方後円墳)に治定された孝謙(称徳)天皇は平城地方にもっともゆかりのある天皇であり,高野陵は郷内鎮守の意も含まれるとも考えられる(平城村史) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」