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- 高宮町(近世~近代)とは
「高宮町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 高宮町(近世~近代)
江戸期~現在の町名富小路通蛸薬師下ルの町寛永14年洛中絵図に「高宮町」と見えて以後,町名に変化はない当町居住の商人としては,「さんしようや」(京雀跡追),両替屋...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7377626]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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高宮町(近世~近代) 江戸期~現在の町名三之宮町通上ノ口下ルの町南北に通る三ノ宮町通をはさむ両側町江戸期は雑色領で(府地誌),正徳2年に妙法院門跡の開発申請が許可され,町地化した(京都大概覚書)「宝暦町鑑」によれば六条新地の中の1町七条新地と称する遊廓の中心が北部に移るにつれ,当町も遊興地化したらしく,「坊目誌」の引用する大正元年8月の京都府令中の七条新地地域の中にも当町名が見える昭和33年に公娼制度が廃止されるまで遊廓地であったため,女性の数が多かった明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】18番組,同5年第26区と改称,同25年第26学区に編成明治12年下京区高宮町,同22年京都市下京区高宮町となり現在に至る当町の世帯数・人口は,大正7年23世帯・152人,昭和5年27世帯・173人,同40年58世帯・166人人口増減率(昭和40~50年)34.9%減 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」