ケータイ辞書JLogosロゴ 滝村(近世)


京都府>加悦町

 江戸期〜明治22年の村名。丹後国与謝【よさ】郡のうち。はじめ宮津藩領,寛文6年幕府領,同9年宮津藩領,延宝8年幕府領,天和元年以降宮津藩領。「慶長郷村帳」に枝郷奥滝村の名が見え,村高は672石余,「慶長検地帳」に,反別は田59町余のうち上田19町余・中田22町余・下田17町余,畑11町余のうち上畑6町余・中畑3町余・下畑1町余で,合計70町余とある。「延宝郷村帳」672石余,「天和村々高帳」では河守組に属し1,062石余,「宝永村々辻高帳」同高,ほかに同所新田6石余,「享保郷村帳」1,072石余,うち新田改出高7石余,ほかに同所新田6石余。「天保郷帳」「旧高旧領」同高。幕末の草高1,062石余,年貢率は定免5割7厘,高掛物583石余,山手運上米4石,冥加銀等152匁(与謝郡誌)。なお「慶長郷村帳」以降に違算が発見され,のち草高から100石余減じた。これを「滝の高違」という(与謝郡誌)。縮緬機数は文化・嘉永・文久年間とも1(与謝郡誌)。寺院に真言宗滝山施薬寺・臨済宗岩松山光明寺がある。光明寺は寛政2年一笑和尚の開山。施薬寺は与謝蕪村ゆかりの寺で,蕪村筆の六曲屏風「方土求不老不死薬図」1双がある。神社には,施薬寺の鎮守として文明2年勧請された畠山神社,建仁2年勧請の厳嶋神社,鎌倉大明神を祀る鎌倉神社がある。明治4年宮津県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。同8年の反別は田61町余・畑9町余(地券事務日記)。同21年の戸数156,国税1,201円余・地方税400円余・町村費154円余(市町村合併史)。同22年与謝村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7377634
最終更新日:2009-03-01




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