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- 槌屋町(近世~近代)とは
「槌屋町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 槌屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名猪熊通仏光寺下ルの町江戸初期には「土屋町」(寛永14年洛中絵図・京雀),「茶町」(寛文12年洛中洛外大図)と記され,中期以降は現町名が記される...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7378022]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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槌屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名小川通夷川下ルの町寛永14年洛中絵図に「槌屋町」と見えて以後,中井家系の絵図では町名に変化はないが,「京雀」「京雀跡追」や木版図系統の絵図の多くのものは「ならや町」としている江戸期,当町には研師の奥州長左衛門(京羽二重織留),長崎糸割符商人の津田勘十郎などが居住していた江戸期は下川東組の二四組に属し,24軒の軒役を負担明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】20番組,同5年第23区と改称,同25年第18学区に編成明治12年上京区槌屋町,同22年京都市上京区槌屋町,昭和4年中京【なかぎよう】区槌屋町となり現在に至る |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」