ケータイ辞書JLogosロゴ 寺戸(近代)


京都府>向日市

 明治22年〜昭和47年の向日町の大字名。南部で交差する京阪および乙訓郡各地を結ぶ古来の道路は,大正9年4月府道に編入され,愛宕道・西国街道は58号(樫原高槻線),唐街道は64号(向日町停車場線),丹波道は65号(上久世石見上里線)などと呼ばれることとなった。世帯・人口は大正14年412世帯・1,944人,昭和5年493世帯・2,272人。昭和3年11月中部の小佃に新京阪(現阪急)電鉄東向日駅が開設された。従来の国鉄向日町駅とともに,この2駅は当地の変容を促進することとなり,阪急京都本線を境に,以東は明治45年創業の井上電機製作所など電気器具製造を主とする工場地区(乙訓郡誌),以西は住宅地区に次第に転じた。教育機関は昭和2年開校した西山高等女学校(現西山学園)が西野辺に所在するのみであったが,人口増を背景に北部の三ノ坪に,同47年町立第5保育所,同48年町立第4向陽小学校が開設された(向日市教育百年沿革史)。一方従来大字向日に集中的であった公機関の南部への移動が昭和40年代後半以降見られる。昭和45年町役場(現向日市役所)が中野に,同47年11月市民会館が中ノ段に竣工した(向日市統計書)。また,西南部の丘陵地には昭和25年府営向日町競輪場(2万坪,2万人収容)が開設された。その西南方丘陵地は,同35年に始まる名神高速道路造成用の採土地となり,その跡地は府営向日台団地となった。天狗塚地区と向日の北山地区にまたがるこの団地は昭和43年寺戸・向日から分離,向日台として自治会を編成。同47年の世帯6,060・人口2万684(向日町統計書)。同年向日市寺戸町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7378114
最終更新日:2009-03-01




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