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「鍋屋町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

鍋屋町(近世~近代)


江戸期~現在の町名東木屋町通四条上ルの町寛文12年洛中洛外大図には,すでに「なへや丁」とあるまた,「宝暦町鑑」には「此南の辻四条通にて行当則小橋の東詰也,此小橋...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7378598]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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鍋屋町(近世~近代)

江戸期~現在の町名江戸期は奈良町の1町北方触口支配に属する江戸期は奈良町の北部に位置し,油留木町の西,宿院町の東にあたり,南は明治初年まで興福寺の北築地に接していたが民家はなく「大路」であった西に低いゆるやかな坂の東西通り(二条通り)に面する街区地名の由来は,鍋釜鉄器などを造る鋳物師が2・3軒居住していたことによるという(奈良坊目拙解)石工が居住していたことから石屋町あるいは石切町ともいい,奈良奉行所の惣門があるため黒門前とも称した(同前)戦国期の「多聞院日記」永禄11年6月2日条に「喜多院ノ北ノ方石切ノ町ニ筒井ヨリ城拵了」とあり,中世多聞山城の松永久秀に対して筒井順慶が当町に砦を築いたという天正年間にはすでに鍋屋町の名が見えるという(奈良坊目拙解)貞享4年の「奈良曝」には町役45軒とあり,針師の五郎兵衛・利右衛門,能書(手習子取)の吉田嘉兵衛,山伏の実相院・多聞院,金具屋の白銀屋仁右衛門,鋳物師の広瀬弥左衛門・広瀬弥兵衛,墨屋の大森和泉,刀屋の善太郎,鍋屋4・木綿屋4・曝数合1が見える寛永8年の役家数46,元禄2年の家数77,竈数93うち大家46・借家47,享保14年の役家数46,家数63,竈数68うち大家43・借家25(奈良市史通史3)宝永元年4月11日と宝暦12年2月23日の大火に類焼(奈良坊目拙解・万大帳)春日若宮祭のときに大宿所で用いる鍋釜類を供出していた(大宮兼守所蔵大宿所日記)黒門前東側にある初宮大明神社の祭礼は9月17日で当町人が行った毎年11月27日の若宮祭礼には田楽法師が初宮神前で舞曲をし,当日の事始めとするのが例となっていた(奈良坊目拙解)また氷室社の氏子区域で,享保13年8月晦日には提灯を家並に出していた(南都年中行事)明治22年奈良町,同31年からは奈良市に所属昭和45年幕末以来の山中鍋釜製作所は移転し,のち跡地はNHK奈良放送局となる昭和13年の世帯数49世帯数・人口は,同45年70・177,同55年40・130

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鍋屋町(近世~近代)
江戸期~昭和41年の町名明治初年から同22年までは桑名を冠称江戸期は桑名城下の1町城の西南に位置し,東海道筋にあたる江戸期以前は本願寺村・江場村などの地籍に属す荒地であったが,慶長年間藩主の招聘により瓦師・鋳物師・大工などを集めて町を形成地名の由来は,鋳物師の広瀬氏が東海道に面して広大な屋敷を得て当町の中心的存在であったことによる(桑府名勝志)鋳物業は桑名の代表的産業で,とりわけ広瀬氏は藩の御用達をつとめ,ほかに寺院の梵鐘や日用の鍋釜を生産し,江戸期の終わり頃には40人ほどの職人がいたシーボルトも文政9年江戸参府の途中に見学している瓦師の長谷川氏・久保村氏の居住地は瓦師口(別称掛樋瀬古)と呼ばれた寺社は天武天皇社・真宗大谷派明円寺・浄土宗本願寺があり,本願寺は当町を含む付近一帯が本願寺村と称された程の巨刹で,境内には享保16年俳人各務支考の分骨墓「梅花仏」が建てられた元禄年間の軒数108(元禄家帳/桑名市史)明治8年の地積1反・地価128円・地租不詳,同16年の戸数182・人口720(桑名市史)同22年桑名町,昭和12年からは桑名市に所属大正8年頃鋳物製造1・瓦製造1・ポンプ製造1・タンス製造1などがあり,商業地域であった昭和20年の戦災で全町ほとんどが焼失し,広瀬氏の鋳物工場も廃された第2次大戦後,矢田郵便局が設けられた昭和13年の世帯数154,同33年の世帯数170・人口796同41年東鍋屋町・西鍋屋町・北鍋屋町となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鍋屋町(近世~近代)
江戸期~昭和51年の町名江戸期は名古屋城下の1町町人町の1つ京町筋のうち善光寺筋から石垣屋横町までの間の1丁東は新町,西は小牧町に隣接する慶長16年清須の鍋屋町を移した清須越の町で,町名は鍋職が多かったことによる(町名紀原)鋳物師水野太郎左衛門家は,はじめ春日井郡鍋屋上野村に住し,文禄2年清須に移り,さらに3代目の時当地に移り当町の南側に居を定めた永禄6年織田信長から黒印状を受けて以来,尾張徳川家に至っても領内における鋳物鋳造の利権を有し,水野氏の許可なく他国製品を売買することを禁止されていた(寛永旧家集)南裏の鉄屋【かなや】(鋳物小屋)縦18間半・横10間は免税地享保年間の家数58,町役銀454匁(名府予録)釜役は毎年12月町内間口割に徴収し,太郎左衛門から上納したまた,当町はかつて堀川浚役を勤めた功により網糸作賃・木戸入用・堀浚入用・橋水道入用を免除された(名古屋府城志)明治4年新町と九十軒町の一部を合併同11年名古屋区,同22年名古屋市,同41年からは同市東区に所属同年の戸数274・人口1,352昭和30年の世帯数201・人口936同51年泉1~3丁目となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鍋屋町(近世~近代)
江戸期~昭和40年の町名・大字名滋賀郡のうち江戸期は俗にいう大津100か町の1つで,幕府領町名は江戸初期居住していた豪商の名に由来(大津市志)中町通りの太間【だいま】町と玉屋町の境から浜町通りに至る横町北は南保【なんぽ】町と白玉【しらたま】町元禄8年の町屋14軒(町絵図)であったが,天保年間には16軒酢屋与兵衛は干鰯問屋惣代で,文政年間の当主は蔵元を兼ねていた文政元年の幕府御用金は2名で200両負担していた慶応元年大津宿役を負担した役家16軒(大津市志)自治組織は元会所町組明治5年滋賀県に所属同22年滋賀郡大津町成立に伴い大津町大字鍋屋町,同31年大津市鍋屋町となり,昭和40年中央2~3丁目の各一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鍋屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は和歌山城下内町のうちの町人町で,明治12年和歌山区,同22年からは和歌山市の町名となる和歌山城の北部,本町7丁目・8丁目の町界を東へ通る道路沿いに位置する道路の東端は御厩,同南側は武家地,本町御門を入った所には番所が置かれてその南部に「水牛ヤシキ」があった本町は同屋敷と地尻を接した(安政城下町図)なお「水牛ヤシキ」とは,本町御門を出た広小路の北部にあった池で水牛の飼育をした役人の屋敷であった古町として地子免除され,町入用のみ負担した明治6年には戸数28,男55・女70大正2年19戸・96人昭和20年7月空襲により全町焼失の被害をうけた...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鍋屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名麩屋町通仏光寺下ルの町寛永14年洛中絵図にすでに現町名が記される明治2年,当町東側から隣接する橘町にかけて下京第11番組小学校(現在の開智小学校)が開校江戸期は巽組の松上組,明治2年の町組改正から下京【しもぎよう】11番組,同5年第13区と改称,同25年第13学区に編成明治12年下京区鍋屋町,同22年京都市下京区鍋屋町となり現在に至る人口増減率(昭和40~50年)27.1%...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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