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- 花屋町(近世~近代)とは
「花屋町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 花屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名上珠数屋町通東洞院東入南側の町町名は東本願寺の創建された慶長年中以来,生花を商う家が多かったことによるという(坊目誌)寛文12年洛中洛外大図は...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7379155]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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花屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名花屋町通油小路西入の町東西に通る旧花屋町通をはさむ両側町寛永14年洛中絵図には「花屋町筋一丁目」,寛文12年洛中洛外大図には「花屋町一丁目」とあるが,「京雀」にすでに現町名が見えるまた「府地誌」には,山川町とともに「須弥山町」と称したというが,典拠は不明,町名は生花を売る店があったからという(坊目誌)当町には,珠数屋町の升形が出来た際,その地にあった珠数屋が移転してきたという(御境内律令/村上文治家文書)江戸期は西本願寺寺内町の住吉組明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】19番組,同5年第23区と改称,同25年第23学区に編成明治12年下京区花屋町,同22年京都市下京区花屋町となり現在に至る世帯数・人口は,明治44年7世帯・28人,大正14年6世帯・26人,昭和40年7世帯・34人人口増減率(昭和40~50年)14.7%減 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」