ケータイ辞書JLogosロゴ 波見保(中世)


京都府>宮津市

鎌倉期〜戦国期に見える保名丹後国与謝【よさ】郡のうち鎌倉期の東大寺領美濃国茜部荘における地頭請所に関する相論は著名だが,その関係文書の1つ,弘安元年12月8日付の六波羅裁許状に「尾張国箆生御厨・丹後国波見・同田辺両郷関東御事書,寛喜以後請所者,不可有相違之由,被載之由,所承及也」とある(内閣文庫蔵美濃国茜部荘文書/鎌遺13316)同裁許状によれば,鎌倉後期の当地(波見郷)には,既に地頭が設置され,地頭請所となっていた「丹後国田数帳」には「一 波見保 十一町三段二百四十八歩 成相寺」と見え,成相寺領とされているまた,「丹後御檀家帳」には「一 さとはみ 家五十斗」「一 はみのたんと申むら 家六十軒斗」「一 はみの六良かき 家参拾軒斗」とある江戸期には当保名を継承して里波見・奥波見両村が成立現在は宮津市里波見・奥波見・中波見となっている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7379181
最終更新日:2009-03-01




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