ケータイ辞書JLogosロゴ 東新浜(近世)


京都府>宮津市

江戸期〜明治22年の地名宮津城下魚屋町組の1町魚屋町新地・魚屋町新道ともいい,絵図などには新浜と見える大手川下流左岸に位置する西堀川通の波止場から東海岸に沿った東堀川手前までの地域文化14年須津村の浅七が指導者となって魚屋町北の海岸に突き出た浜を造成した新地(宮津日記・宮津事跡記)文化8年宮津町に遊女屋が許可されて以来,当町は歓楽街として栄えた当町の波止場付近では,「涼み浄瑠璃と名付け,町方子供,並びに芸子共芝居様の興行いたし,水茶屋・芸子屋並びに町中の料理屋向世話方中茶屋には,遊女屋の子供を差出し商いたし,町方は不及申,近在よりも夜々群集致,町中賑ひ限りな」き繁盛であった(宮津事跡記)天保13年に当町は藩から遊廓に指定されたこの遊廓は慶応2年に万年新地に移転を命じられたが,約20年後に当町に復帰している(丹後宮津志)明治11年当町西部の波止場付近に新浜女紅場が創設され,のち裁縫講習所・郡立高等女学校となった家数は明治維新前88軒,明治19年86軒,同21年91戸(丹後宮津志・市町村合併史)同22年宮津町の大字新浜となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7379297
最終更新日:2009-03-01




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