ケータイ辞書JLogosロゴ 日ケ谷村(近世)


京都府>宮津市

 江戸期〜明治22年の村名。丹後国与謝【よさ】郡のうち。はじめ宮津藩領,寛文6年幕府領,同9年宮津藩領,延宝8年幕府領,天和元年以降宮津藩領。村高は「慶長郷村帳」「延宝郷村帳」327石余,「天和村々高帳」では波見宇川組に所属し424石余,「宝永村々辻高帳」同高,「享保郷村帳」438石余,うち新田改出高13石余。「宝暦郷村之覚」「天保郷帳」とも同高,「旧高旧領」は424石余。幕末の草高は424石余,年貢率は定免で5割8分2厘5毛。ほかに高掛物265石余,山手運上米2石,稲木運上銀など74匁余。戸数259,うち百姓238・水呑17・町人1・出家3,人口1,351,慶応2年8月の洪水により家屋の全壊は3軒(与謝郡誌)。社寺に大山権現・日蓮宗日渓山円教寺・臨済宗地久山天長寺,旧跡に松田山城守城墟がある。天長寺には岩ケ鼻村の山王社に伝わっていた大般若経600巻が所蔵されている。同経は平安後期〜江戸期の補経をまじえ,丹後における伝存大般若経の代表例とされる。松田氏は一色氏の家臣であったが,天正10年細川藤孝に攻め滅ぼされた。明治4年宮津県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。同21年の戸数269(市町村合併史)。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7379365
最終更新日:2009-03-01




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