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「袋町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

袋町(近世)


江戸期の町名下立売通東洞院東入の町寛永14年洛中絵図などに見え,東は頂妙寺である宝永5年の大火後に公家町拡張によって収公され公家の屋敷地となるが,どこに替地され...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7379568]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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袋町(近世)

江戸期の町名大村城下の1町「大村郷村記」によれば,片町筋のうちで,町並みは本通り長店曲り目から草場小路(武家地)出口までの長さ34間2尺7寸,幅は入口が3間3尺4寸,出口が3間2尺1寸で,「此丁草場小路通り」とあり,町内に長店裏通の栄螺町があると記されている町名は当町が袋小路に立地したことに由来するはじめは武家地の草場小路のうちであったが,武家屋敷は上小路などに移り,かわって寛文8年から徐々に町屋が立ち並び町人地となった(大村郷村記)「大村家記」に「長見世(長店)の隅より侍屋敷の内二十八間商家とす」とあるのが当町に比定できる文久2年の竈数は栄螺町を合わせて38軒(同前)嘉永3年正月晦日暁7つ時頃,当町から出火し,家数11軒を焼失して,6つ時頃鎮火した(同前)廃藩置県にともなって大村町の一部となるなお,明治7年の資料には大村町のうちに袋町の地名が残っている

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸期の町名江戸期は水戸城下上町の1町水戸城の北西に位置する武家町「新編常陸」によれば,長町の北に位置し,東の富士山町側が1丁目で西に向かって2丁目・3丁目・4丁目の4町があり,元禄3年斎藤次左衛門前を袋1丁目,大内和次郎兵衛前を袋2丁目,熊田九蔵前を袋3丁目,加治市内前を袋4丁目と称している1丁目は文字通り袋小路であるが,他は明治期に至るまでに道ができて,2丁目は太郎坂に通じ,3丁目と4丁目はともに下金町に通じたこれらの町は天保14年に3丁目から東は長町,西側は並松町の一部となる(水戸の町名)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸期~明治9年の町名江戸期は小諸城下の一町小諸城の東,松井川の流れに沿って,ほぼその南岸に位置する筒井町から荒町にかけての町であった町口番所が置かれ,その南側は大深の田圃地帯であった地名の由来は,古くは袋のように行止まりの屋敷地であったことによる「小諸砂石鈔」(信叢4)によれば,武家屋敷が20軒あった西端の五軒町から当町に通じる道の松井川に架けられた橋を右京橋と呼んだこれはその近くに手洗右京という武家の屋敷があったためという明治9年小諸町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸期~明治8年の町名江戸期は松本城下のうち城外武家屋敷の一町松本城の北,新町の東側に位置する町南に入口があるが北端は行き止まりで通り抜けが出来なくなっており,しかも中央部が鉤の手におれて見通しがきかなくなっているこうした袋小路になっているところから付けられた町名慶安年間に造られた城外武家屋敷である「信府統記」には「袋町南北百七拾八間余,家数西ケ輪拾軒・東ケ輪拾二軒」とあり,100石前後の中級武士の屋敷が置かれていた明治8年北深志町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸期~明治初年の町名江戸期は新見のうちの1町町人地新見の西部に位置する元禄10年新見藩成立後に形成された元禄年間の検地帳によると,新見町の恵美須社(西宮)から江道(江戸町か)までの高梁川に沿う城山山麓には畑地屋敷地などは載っておらず,河原であった当町は新見の発展とその消費を賄うため,藩主関長治が河岸を埋め立て護岸および石垣を築いて造られた町明治初年新見村の一部となるなお,昭和期には有楽町と呼ばれるようになった...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸期~明治15年の地名浜松城下のうち袋小路ともいう遠州灘に注ぐ馬込川の支流新川流域,浜松城の南に位置する地名の由来は,榎門で行き止まりの袋小路となることにあるという(浜松市史)榎門から榎町にかけて南北に長い榎門口両側の武家地北端に榎門(二層間口6間×奥行2間)と番所(間口4間半×奥行2間)がある(浜松市史2)明治13年の戸数8(浜松町沿革誌)明治15年旧武家地の馬冷・作左と合併して浜松松城町となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸期の町名和歌山のうち江戸初期の和歌山城下の町名で,慶長18年3月30日付の河崎多左衛門銀請取状(万代記/大日料12-13)には本町・長町と並んで「袋町」が見え,3か町の年寄中に対し,蔵米300石の代銀4貫950匁を請け取った旨が記されている和歌山城下宇治には,明治5年宇治袋町(はじめ袋町と称した)ができ,現在の和歌山市のうちに比定され,宇治袋町付近かと思われるが,詳細は不明...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸期の町名松山城下の町名の1つ城下の南に位置する南古萱町の東側に並行し,出淵【いでぶち】町に直角に交差する南北に通ずる道路を称した元禄期の記事を載せた「松山町鑑」では外巡町23町の1つで,後筆の注記には「塩屋町と改称」とあるが年代は不詳元禄7年の町鑑では本家17軒・借屋8軒,南古萱町組に属した現在の松山市萱町1丁目あたりの一部に比定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
天正年間~明治12年の町名坂田郡長浜町のうち豊臣秀吉の長浜城下造営により成立町名の由来ははっきりしないが,通路が袋小路になっていることによるか江戸期を通じて朱印地元禄8年の家数11・人口28明治5年滋賀県に所属同12年旧長浜町のうち東北町・知善院【ちぜいん】町・中北町と合併,長浜町相生【あいおい】町となる(坂田郡志)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸末期の町名秋田藩所預【ところあずかり】佐竹南家領雄勝【おがち】郡湯沢町のうち上【うわ】町と荒【あら】町とを限る道路の東山際に享保年中は御米蔵があった(湯沢町絵図)が,天保年中は屋敷地となったらしい(巡見使答書覚)その後明治10年頃まで俗称として袋町と呼ばれた(郡村誌)が,正規には荒町に属していた...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

袋町(近世)
江戸期~明治3年の町名室町通花屋町下ルの地にあった小街「宝暦町鑑」には「此町に唯乗坊と云東門徒有,此町袋町にて行当り西へ行新町西入」と記している江戸期東本願寺寺内町の古屋敷,明治2年町組改正より下京【しもぎよう】17番組に所属同3年鍛冶屋町・台所門町と合併し,乾町となる(坊目誌)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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