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府中(中世)


 南北朝期~戦国期に見える地名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7379621]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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府中(中世)

 南北朝期から見える地名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

府中(中世)
 鎌倉期から見える地名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

府中(中世)
室町期から見える地名都賀郡のうち当地は,その地名から国衙所在地であることが推定され,国府とも称されたと思われる律令制下の国衙所在地は現在の栃木市田村町付近であり,田村町字宮ノ辺からは下野国府の国庁部分が発掘され,8世紀後半から10世紀にかけて,下野国支配の中心官衙として機能したと想定されている寛喜2年2月20日の小山朝政譲状に国府郡内の所領として「古国府」が見え(小山文書/県史中世1),国府の元の地点を指すものと考えられ,前記の栃木市田村町には古国府の字名が残るまた,栃木市国府町にも西国府の字名が残り,地名から同町付近にも下野国府があったと推定され,10世紀まで続いた下野国衙(古国府)が,何らかの理由で栃木市国府町付近(西国府)に移転したと推定される一方,古代以来下野国衙は都賀郡に置かれたので,都賀郡を国府郡とよぶ場合もあった(小山文書・安房神社文書/県史中世1)小山氏は,藤原秀郷より5代目頼行以後下野国権大介職ならびに押領使を世襲し,下野国衙の実質的な最高責任者であったこうした地位を利用して国衙領を自らの支配下に組み入れていった小山氏は朝政が源頼朝から下野国守護に補任されて以来,南北朝期までこれを世襲した現在栃木市惣社町に府中の字名が残り,この地に鎌倉期の小山氏の守護所があったものと思われる「府中」の初見は,室町期成立の仏厳禅師行状で,「野州府中有寺曰法蔵」と見える(続群9下)次いで,文明9年8月20日の法華経奥書に「下野国都賀郡府中国分寺一結講衆等,執筆府中勝光寺住侶宏奝〈卅六〉」と見える(下野古文書集解/大日料8-10)「府中国分寺」とは現在の国分寺町国分にある国分寺,「府中勝光寺」は栃木市国府町にある勝光寺と考えられるので,府中とは下野国衙の所在した栃木市国府町・田村町などの狭い地域とは別に,古代の下野国分寺が所在した地域も,広い意味で府中と称されたことが知られる永正15年の道者日記には「下野国在所府中,小山殿」と見える(近代足利市史)戦国期に小山氏は小山荘に本拠があり,この場合は小山氏が下野権大介職・守護職の後裔であったため,その在所が府中とされたのであろう下って,慶長17年8月6日の関東八州真言宗諸寺連判留書案に「〈下野国府中村十月十五日辰刻〉西光寺」と見えるほか,「〈下野国府〉勝光寺」とも見える(醍醐寺文書/県史中世4)現在の栃木市惣社町に府中の字名が残り,同町には真言宗西光寺がある府中とは国衙所在地の周辺を指すものと思われ,現在の栃木市惣社町・国府町付近一帯に比定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

府中(中世)
南北朝期~戦国末期に見える地名符中・府内とも書いた豊後国大分郡荏隈【えのくま】・笠和【かさわ】郷のうち大分川の左岸,大分市元町・上野丘東・上野丘西・上野上1~2丁目・上野町・錦町1~3丁目・顕徳町1~3丁目・金池町4~5丁目・長浜町などを中心とした一帯仁治3年正月15日の新御成敗状に,「一給府中地輩事」「一府中指笠事」「一府中墓所事」とあるのが初見(中世法制史料集1)建武3年6月8日の稙田寂円軍忠状にも,「自正月九日府中警固仕候之処」と見える(伊東東文書/県史料13)南北の対立は,大友氏内部でも7代氏泰に対し長兄貞順以下各氏族の不満分子が玖珠【くす】郡玖珠城に結集し大友惣領家と対立する貞順軍は,大友勢の大半が足利尊氏とともに博多にいた隙に乗じ,守護所のある府中高国府【たかごう】を狙う府中高国府攻略は建武3年3月・6月・7月の3回にわたって計画されたが,いずれも失敗に帰した(伊東東・志賀・今村・都甲・長野文書など)鎮西管領一色道猷(範氏)が九州を去った後をうけ,康安元年斯波氏経が北朝の拠点豊後府中に入り,阿蘇惟村に府中下着を告げ,味方に誘っている翌2年9月9日には,南朝勢が府中に侵入した旨を高崎城から阿蘇惟村に告げ,援軍の派遣を申し送っている(阿蘇文書/大友史料7)「大友家文書録」では府中とせず,府内と表記している天文中の某神事覚案には,「一同四日辛亥,於豊後府中,為上意,一万田弾正忠父子を,加来民部・同将監兄弟承生害候」と,二階崩れの変を記録している(到津文書/県史料24)し,天正15年の大友義統書状にも,「昨日十二嶋津兵庫頭事,従武宮(庄内町)如府中罷越候之刻」と見える(挾間俊雄文書/県史料26)また天正16年の参宮帳にも,符中唐人町・符中市之町・符中古川・符中稲荷町・符中桜町などと見える(後藤文書/県史料25)府中・符中は,室町期から戦国末期に府内・符内とも表現されているまた文暦元年4月10日の幸俊・地頭連署置文および同年月日の大宮司法橋上人置文写には「賀来符中出符時者」「賀来府中へ出府之時ハ」と見える(柞原文書/県史料9)これによると,符中・府中と呼ばれる地区は,荏隈・笠和郷内に存在する府中と,賀来庄に属する府中とがあったように見えるしかしこれは,賀来と府中の意ではなかろうかなお府中は守護所のある地域の総称で,固定した範囲に冠せられた地名ではない→府内①【ふない】...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

府中(中世)
鎌倉期から見える地名筑摩・安曇【あずみ】郡のうち符中とも書いた嘉暦4年の諏訪大宮造営目録に「符中」のうちとして白女・草深・唐笠木・白河・伊賀之牧・村井が記されている(信叢2)これらは安曇・筑摩両郡内の地名であり,広義には安曇郡北半と筑摩郡北部山間部を除いた松本平全域を指すこともあった本来は「国府の内」の意味であり,建武2年3月日の市河助房等着到状に「将又就府中騒動」,同年月日の市河助房同経助着到状に「至于符中令馳参候畢」などと見え,翌3年11月日の市河親宗軍忠状によれば,10月12日親宗は小笠原経義に属して「符中并仁科千国口」に発向したという(市河文書/信史5)嘉慶元年9月26日には北朝方の諏訪頼継と小笠原長基との戦いが筑摩郡熊井原であるが,同年と推定される10月10日の斯波義将書状写には,「符中熊井原合戦」とある(守矢文書/同前7)文安5年をそう下らない頃に成立したと考えられる「年内神事次第旧記」によれば,「一,五月分二日三日四日 〈おしたて〉酒室之御酒・御穀ハ神殿役,勢子踏馬府中白ひめ白河・藤沢七郷・一沢」「一,祝殿くらいに付給時,府中白河よりしやうそくの分これうそく廿貫文参」とある(信叢7)「守矢満実留書」によれば,文明2年6月19日御柱立の「日照,符中深志介役,坂西兵部少(輔脱)勤仕候」とある(同前7)また戦国初期成立の諏訪御符礼之古書の文明17年条には「一,流鏑馬,符中桐原・神田,小笠原中務源光政,御符礼一貫三百」とある(同前2)これらは広義の意味である「信州下向記」天文2年7月22日条に「自府中諸勢今日著陣」とあり,小笠原長棟の軍勢が伊那郡に攻め入り,知久頼元軍と対陣しており,8月17日条にも「自府中今日又出帳(張)云々」と長棟が出陣している(同前10)下って,天正8年卯月20日の武田勝頼安堵状によれば,「一,府中和田之内 三拾五俵」などを倉科朝軌に安堵している(倉科文書/信史14)天正10年と推定される2月6日の木曽義昌覚書には「伊奈郡之御人数被立遣候者,諏方・府中可為一変候事」とあり,織田信忠の将塚本三郎兵衛に信忠の来援を促すよう伝えており,これは松本平一帯を指すものと思われる(塚本文書/同前15)...

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府中(中世)
鎌倉期から見える総称地名越智【おち】郡のうち伊予国国府は越智平野南部,頓田【とんだ】川に近い旧上神宮村(現今治【いまばり】市上徳の一部)付近に位置したと推定される府中の名はこの国府の所在地,または転じて今治平野一帯を指した古代から近世にいたるまで,伊予国の中枢をなした「忽那一族軍忠次第」(編年史2)の元弘3年閏2月11日の条に「伊与国所々合戦 一府中守護参河権守貞宗館合戦」とある府中に伊予守護宇都宮貞宗の館(守護所か)があり,鎌倉幕府討伐軍と幕府軍との合戦場となっている南北朝期には当地付近は南北両朝の争奪の地となっている暦応元年12月の鳥生貞実軍忠状(予陽河野盛衰記/編年史3)によれば,武家方の鳥生貞実は守護と思われる岩松頼有に属して宮方を追撃して朝倉・高市・宮崎山・佐礼山・八幡山・鴨部中村・竜岡城・佐波城と「府中」とその周辺で転戦し,岩松頼有の証判を得ている貞治5年12月8日の細川頼之禁制に「府中八幡宮」と見え,永和3年2月22日には「伊予国符中能寂寺」における「軍勢并甲乙人等」の濫妨狼藉に対する禁制が細川頼有から出されている(能寂寺文書/編年史3)文中3年正月21日の「光蔵寺大般若経奥書」(越智郡玉川町)に「府中畑寺」とあること,天文3年7月5日の旦那願文写(米良文書/熊野那智大社文書3)に熊野那智山(和歌山県)御師実報院の旦那持分のうちに「符中住人」として「別宮善右衛門・八町新左衛門尉・とくしけ(得重)又大郎・とひかの村九郎三郎」らが見えるので,府中が国府所在地のみではなく,越智平野を中心にその周辺,すなわち越智郡一帯をさすものであったことが知られるまた,戦国期と推定される「伊予国先達注文写」「伊予国漏脱分先達書立写」(米良文書/熊野那智大社文書3)に,熊野那智山御師の実報院の伊予国旦那持分のうちに「こう(国府)のへつくう(別宮)南光坊」が先達として見えるが,この南光坊は,大三島の大山祇神社の供僧24坊の1つといわれ,今治市内の別宮【べつく】(現四国霊場55番札所)にあるので,もともと国府所在地をさす国府が戦国期には転訛して「こう」と称され,広域地名化した府中と同一視されたと推測される...

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府中(中世)
 室町期から見える地名...

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府中(中世)
鎌倉期から見える地名播磨国飾東【しきとう】郡のうち地名の由来は,律令制下の国府が置かれたことにちなむ戦国期には府中と同様な意味で国衙とも呼ばれている正応5年3月25日の沙弥光智別当職等譲状に「播磨国□(府)中姫道村称名寺」と見える(正明寺文書)府中には称名寺のほか,「苻中威徳寺」も見える(雲松寺文書応永25年2月15日付沙弥蓮阿田畠目録注文)現在の射楯兵主神社は当時の「府中惣社」であり(峰相記/続群28上),当地には多くの寺社があり,これらの寺社領が散在していた建武2年11月28日の山内通継譲状によれば,同年6月里見土用鶴(通知)の父新田里見義俊が「播磨国府中」で命を落とし(山内首藤家文書/大日古),文明12年10月2日には守護赤松政則が府中に在った(蔭涼軒日録延徳元年12月28日条/大日本仏教全書)鎌倉期の播磨国守護所は加古川にあったが,南北朝期に赤松氏が守護となると,府中の地が守護所となった明徳3年6月26日赤松義則が小河六郎兵衛入道に「播州国衙眼代職」を安堵し,以後も同職は小河氏が相伝した(小河文書/姫路市史史料編1)眼代職は代官職と同意文明6年閏5月3日の浦上則宗奉書に「在所符中守護屋敷」が見え,南北朝期から室町期にかけて府中に守護屋敷があった(正明寺文書)古代の国府は,姫路城の外濠の線を西辺とし,国府寺【こうでら】町を含む方8町の地とする説,また姫路城の東辺に推定する説が有力とされる(県史1)現在の姫路城の地一帯の呼称と思われる...

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府中(中世)
 古代律令制下の地方政庁である国衙の機能は鎌倉期に入っても継続し,この地は依然として武蔵国の政治的中心であった...

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府中(中世)
 古代律令制下の地方政庁である国衙の機能は鎌倉期に入っても継続し,この地は依然として武蔵国の政治的中心であった...

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府中(中世)
鎌倉期から見える地名尾張国中島郡のうち尾張国国衙とその周辺地域を指す嘉禄元年8月日付尾張国々司庁宣案に「当社者一国惣社,府中勧請之敬神」とあり,地内に惣社大国霊神社が鎮座した(尾張大国霊神社文書/稲沢市史資料編7)弘安5年7月日付尾張国千代氏荘坪付注進状案によれば「府中」に国衙領の鈴裳・永吉名畠3反余があった下って,応永9~10年には国衙領「苻中惣社御神領」「苻中天神御領」は守護方給人の押妨を受けている(醍醐寺文書/同前)戦国初期の「梅花無尽蔵」所載尾州中島府中総社大明神化縁䟽并序に「東海道尾州中島郡府中国玉之大明神」とある(続群12下)また,犬山市蓮台寺から移された尾張大国御霊神社大日堂鰐口には「尾州中島郡府中総社大明神鰐口 永禄八年己丑九月吉日」の銘があったという(尾張名所図会)同社は元亀2年「尾張国内神名牒」では「苻中之宮」といわれる同年9月日付織田信長朱印状では「苻中府宮」に設けられた市場の課役が免除されている(尾張大国霊神社文書/稲沢市史資料編7)天正10年9月万徳寺領年貢帳に「苻中神田色成百文皆済」「坪苻中の四つつしのキハ」などと見える(万徳寺文書/同前)現在の稲沢市国府宮【こうのみや】1~4丁目・同神田町・国府宮町・松下1~2丁目辺り...

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