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- 桝屋町(近世)とは
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桝屋町(近世) 江戸期~明治7年の町名伏見町のうち北組大亀谷組13町の1つ大亀谷の旧大津道に沿い,藤森神社の東方,北は南寺町,南は千本町に隣接城下町時代は南北路の東西両側は町家地で,東裏は堀左衛門秀政,西裏には水野石見守の屋敷地がある(豊公伏見城ノ図)寛文10年山城国伏見街衢並近郊図によると,南北の東西両側に数戸の民家が描かれ,民家の西裏に浄土宗西福寺がある安政頃は東側に百姓七兵衛外4戸,西側は百姓善兵衛1戸があったというが(新市域各町誌),天保頃の軒数は17軒(伏見町誌)明治元年15番組,同5年伏見第2区に所属明治7年東桝屋町と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」