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- 町田(中世)とは
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町田(中世) 室町期から見える字名山城国愛宕【おたぎ】郡岡本郷のうち丁田・待田とも書くほぼ現在の北区上賀茂畔勝町中央部にあたる賀茂別雷神社領宝徳3年4月7日,岡本郷地からみ帳(写)に「〈マチ田〉半 竜花庵 作人千代乙大夫」とあるのが初見当時この田地とも10筆1町半もしくは14筆1町5反半が同じ字に属したと思われるほぼ同時期の賀茂社往来田古帳(応仁元年4月写)には,同社氏人土佐前司・備後前司の往来田各1反が当地にあったことが記され(賀茂別雷神社文書),また,やはり室町期のものと思われる賀茂社読経所田田数引付には,「待田」を肩書とする2筆1反半が見える(川上家文書)江戸期(年月日未詳)の上賀茂御社領之内本郷田地麁絵図には,この地は「松田」と表示され,近世に入り呼称に転訛があったことがわかる(賀茂別雷神社文書)近代の市制町村制では上賀茂村大字上賀茂字松田となり,昭和46年までは,上賀茂松田町として地名が存続していた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
町田(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
町田(中世) 室町期に見える字名山城国愛宕【おたぎ】郡小山郷のうち丁田とも書く現在の北区小山花ノ木町南半部賀茂別雷神社領室町期の賀茂社往来田古帳(応仁元年4月写)に,同社氏人徳千代大夫・有鶴大夫・民部少輔の往来田各1反の在所として登場するのが唯一の所見これら往来田はいずれも宝徳3年3月27日,小山郷地からみ帳(写)にも記載されており,同帳の地図上復元により位置が判明した当時8筆計9反から成るほぼ正方形の区域であった(賀茂別雷神社文書)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
町田(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」