ケータイ辞書JLogosロゴ 水無村(近世)


京都府>井手町

江戸期〜明治5年の村名山城国綴喜【つづき】郡のうち木津川支流玉川の流域に位置する村名の由来は,玉川が通常水がなく,水無川とも呼ばれたことによる(山州名跡志)勧修寺門跡領村高は「元禄郷帳」で313石余,「天保郷帳」で413石余,「旧高旧領」では313石余「正保村高帳」には当村名が見えず,「享保村名帳」「寛政村高帳」では当村分村高が井手村の村高に合算されている井手村の枝郷的な位置がうかがえる当村分は「享保村名帳」では255石余,「寛政村高帳」では413石余明治元年京都府に所属同5年の戸数109(市町村合併史)同年井手村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7380088
最終更新日:2009-03-01




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