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「森下町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
森下町(近世~近代)
江戸期~現在の町名伏見街道筋(本町通)五条上ル2丁目の町正徳2年の開発によってできた建仁寺新門前六町の1つ正徳4年洛外町続家数改帳による家数1(荻野家文書)町名...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7380454]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 森下町(近世~近代) 江戸期~昭和41年の町名森本町とも書く江戸期は金沢城下町のうち,本町の1つ明治22年からは金沢市の町名浅野川の大橋以北で,北陸街道の東沿いに位置した慶長20年の「金沢町役定書」によれば,慶長年間から本町として町役を命ぜられていることから江戸初期からの町立てか江戸初期には森本町とも書かれたが(稿本金沢市史),元禄9年の本町肝煎裁許附によれば「森下町,卯辰【うたつ】町を一裁許となしたり」(古蹟志)と記され,以後の公式文書にはすべて森下町と書かれた「亀の尾の記」によれば,河北【かほく】郡森下村の亀田大隅の末裔が染工となり,藩主から当地に居地を賜って屋号を亀甲屋と称した亀甲屋の出身地名をとって町名としたという文政6年卯辰町を編入元禄年間の家数は86で,孫兵衛なる者が裁許役となっていた寺院には日蓮宗円教寺があったが,元禄3年に住僧が罪に問われ廃寺となった明治4年の戸数105,大正5年の戸数199・人口800昭和41年森山1丁目・東山1~3丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」