ケータイ辞書JLogosロゴ 柳縄手(近世)


京都府>宮津市

 江戸期〜明治22年の地名。北は大手橋前,南は切戸橋(京口橋)に至る町筋を総称した。当地名は慶長7年「宮津下村検地帳」に見える(筑波大学所蔵文書)。北部の文庫町ははじめ魚屋町組,のち本町組の1町で町家地,南部の柳縄手(柳町)は武家地であった(宮津事跡記・宮津府志)。宝暦年間の家数10軒(文庫町のみ),幕末52軒,明治19年57軒,同21年40戸(宮津府志・丹後宮津志・市町村合併史)。当町角にあった郡会所は,弘化4年正月の地震によって大破した。ところが郡会所の修繕後,本町筋大手前と文庫町は見苦しいとの理由で撤退を命ぜられ,文庫町の住民は稲荷筋へ移転し,その跡地には御用会所が設置された(宮津事跡記)。当町は寛延2年・嘉永6年の山王社,天保12年の分宮神輿道具などの祭礼の道順にあたっていた(宮津日記・宮津事跡記)。明治22年宮津町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7380572
最終更新日:2009-03-01




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