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- 山田町(近世~近代)とは
「山田町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 山田町(近世~近代)
江戸期~現在の町名新宮川町通五条上ル2丁目の町宮川筋通の東裏筋にあたる字を山田と称した耕地を正徳2年開発(坊目誌),建仁寺新門前六町のうちとした洛外町続町の1つ...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7380660]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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山田町(近世~近代) 江戸期~現在の町名油小路通蛸薬師下ルの町寛永14年洛中絵図に「山田丁」と見える町名は天正年中,山田左衛門の屋敷が当町にあったことによるという(坊目誌)また,三河岡崎藩本多氏の京屋敷があったが,天明8年の大火後,壬生村に移ったという(坊目誌)その他,当町居住の商人としては長崎糸割符商人丁子屋甚兵衛・同庄兵衛などが見える(京羽二重織留)また,当町には江戸やというむらさき染屋の上手がいたという(京雀跡追)江戸期は川西十六町組に属し,51軒の軒役を負担明治2年の町組改正から下京【しもぎよう】2番組,同5年第2区と改称,同25年第2学区に編成明治12年下京区山田町,同22年京都市下京区山田町,昭和4年中京【なかぎよう】区山田町となり現在に至る |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」